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  • 早稲田ラグビー戦術研究会

ブレイクダウン哲学(私見)

今回はブレイクダウン(以下BD)というものの捉え方について考えて見たいと思います。他大学の大学生と交流する中で、自分の中でBDに関する一つのまとまりを持った考えが浮かびました。これは以前から無意識のうちに認識していたものではありますが、言語化には至っていませんでした。最近ふとこれを言語化することに成功したので、抽象的な話ですがお付き合いください。また、今回はBDの定義や細かなスキル、戦略的意味などについて深く言及しません。あくまでも一つの考え方だと思って読んでくださると幸いです。




BDとは「手段」であり、「結果」であり、「目的」である。これらはBDを長期的な目でみるか短期的な目で見るかということで区別することができる。


「手段」としてのBDは長期的な考え方である。スコアに繋がるようなAT、または効果的なDFを組み立てる一つの要素としてBDを捉えるということである。ATではBDを作ることで次のフェーズでの数的有利を狙う。DFではBDをターンオーバーするために起こす。このような捉え方が「手段」としてのBDである。


「結果」としてのBDは短期的な捉え方であり、意図していなかったBDという意味も込められている。ここではBDを単にコンタクトプレーの「結果」としてのみ考える。この捉え方においてはBDは自発的に作るものではなく、結果的にできるものとして考える。これは一見受け身な考え方のように見えるが、コンタクトプレーにはBDがつきものであるという解釈をしているとも言える。(実際にはBDなしでのリサイクルもあるが)


「目的」としてのBDは超短期的な考え方である。BDが「目的」と聞くと滑稽に感じられるだろうが、ATやDFの中の一瞬を切り取ってその時点についてのみ考えてみると、BDを目的にプレーするということがおかしな話ではないということが理解できると思う。もちろんBDを作ることで得点することはないが、ボールをキープ/奪取するためにBDを作ることが一時的な目的となることがあるという意味である。


これらの考え方は個別のものではなく、すべて複雑に絡み合っていると考えられる。さらに言うと、BDは複合的に捉えなければならないとすら思われる。

BDを「手段」としてのみ考えていると、一つ一つのBDにおけるプレーが粗雑になる恐れがある。

また、「結果」としてのみ考えていると、BDで相手の後手に回ったり、無意味に辛いATを継続することになる可能性がある。

そして、BDを「目的」としてのみ捉えると、言うまでもなくラグビーが崩壊してしまう。


このようにそれぞれを別個に捉えるとBDを見失ってしまう。しかし、これらそれぞれの捉え方にはデメリットと同じようにメリットも存在する。


例えば、BDを「手段」として捉えるならば、BDにおいて最も重要なことがリサイクルスピードであると考えるようになるのは自明である。

同様に「結果」として考えるならば、キャリヤーは簡単に倒れてはいけないと考えるようになり、フォロワーはコース取りや、キャリヤーとの位置関係を意識するようになる。

そしてBDを「目的」として捉えると、キャリヤーのヒットの仕方、ハンマーやスイープのタイミングなどの細かなスキルを重視するようになる。


これらは全て現代ラグビーのBDにおいてとても重要なものである。しかし、メリットに注目するにあたっても、3つの考え方は常に組み合わさっていなければ意味をなさない。選手の意識においてBDが複合的なものとして扱われていなければ、上記のメリットは形として現れることはないのである。


つまり、BDとは一つの現象でありながらも複数の面を有しているのだ。また、以上から分かるように、BDを複合的に考えることは必要不可欠である。複合的に考えることにより、BDの本質的理解が進み、何が重要で何がそうでないかを分類することも容易になる。このように突き詰めて考えていくと、チーム内でBDにおける最低限のシンプルな約束事が浮かび上がってくる。


また、同様にBD以外の現象においてもこのように多面的に捉えることにより、複雑な事象でさえもシンプルな一つのアイデアに帰着するはずである。そして、事象をシンプルに捉えることができれば、プレーヤーの脳内も整理され戦術に対する理解度は格段に上がる。つまり、後の利益のためには一度現象からシンプルなアイデアを抽出すると言う比較的負荷の高いことを行わなければならないということである。これは複雑な数式を変形して公式を生み出す過程のようなものだ。一度公式が発明されれば、皆これを用いるようになり煩雑な計算式を行わなくて済むようになる。


ラグビーにおいては公式を知るだけでは不十分であるが、初心者が多いチームで全員が本質を理解することは困難である。しかし、現象から公式に至るまでの過程を順を追って示せば、誰であっても容易に理解することができる。また、もしそれを忘れてしまっても現象の本質の理解は必要であるが、試合中に本質について考察することは不可能であるし、無用である。そのため、試合において正しいプレーができる選手を最速で育成するならば、最低限の公式をインプットすることが最善策だと思われる。


もちろん本質と公式の両方を

理解していることが理想ではあるが…

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